1907 ロバート・ベーデン・パウエル、イギリスのブラウンシー島でキャンプを行う。  
1908 「スカウティングフォアボーイズ」発行、ボーイスカウト活動の礎となる。
1910 アグネス・ベーデン・パウエル(B-Pの妹)、ガールガイドを組織。
1918 オレブ・ベーデン・パウエル(B-Pの妻)、全英のチーフガイドに任命される
   
1930年末 カール・ライツ神父、ドイツより来日し、布教のかたわら佐渡島で少年団を編成する。
1940年前期 第二次世界大戦により少年団活動は活動を停止、ライツ神父は多治見の修道院に軟禁される。
   
1946. 春 カール・ライツ神父、東京・武蔵野市のアルベルトホームでボーイスカウト運動をカトリック少年団として開始。スカウト15〜16名で、セントアルベルトボーイスカウト隊を結成 。
1946. 秋 セントアルベルトガールスカウト団発足。
   
1949. 4.1 財団法人健志会の名称を財団法人ボーイスカウト日本連盟に改めて再発足。日本連盟正式加盟登録受付開始。 東京連盟「ボーイスカウト武蔵野第1隊」として加盟登録する。後に、この日が武蔵野第1団加盟登録日となる。
1949.12 成蹊学園西側のボタン園跡の土地2,000坪を購入し、スカウトホームを建てアルベルトホームより移る。カール・ライツ神父が生まれ故郷の教会聖堂の名前をとって、セントメリースカウトホームと名づける 。
1950.6.17 「ボーイスカウト武蔵野第2隊」として加盟登録する(後に武蔵野第2団加盟登録日となる) 。
1950.秋  「ガールスカウト東京10団」として登録(現東京18団 )。
1951.8 日本連盟加盟のカトリック隊(全国23個隊)がセントメリースカウトホームに集まり、「カトリックボーイスカウト指導者会議」を開催する。
1953.2.25 「シニアスカウト武蔵野第1隊」として登録する。
1953.7 第3回全米ジャンボリーに新庄元生スカウト派遣。
1953.10.26  「カブスカウト武蔵野第1隊」として登録 する。初代隊長は岩崎健三。
1954.4.18 カトリック吉祥寺教会聖堂落成。
1956.4 「ガールスカウト東京都第18団」として再登録。正リーダー堀口愛子、副リーダー3名 、ガールスカウト40名3組制。
1956.5 カール・ライツ神父、日本連盟より「はと章」を受章。
1956.7 第1回アジアキャンプ(戸隠)にガールスカウト約30名参加。
1956.8.3-8 第1回日本ジャンボリー(軽井沢地蔵ヶ原)に参加。
1959 登録人数の増加により、ボーイスカウトを2個隊に。
1959.2. スカウト活動の拠点を吉祥寺教会内へ移転。
1959.4.4  カール・ライツ神父の送別会(ボーイスカウトブラスバンド、ガールスカウトコーラス)。
1959.4.14 セントメリーローバー隊結成。初代アドバイザー岩崎健三。
1959.6.6 吉祥寺教会聖堂において各隊入隊式、ちかいの式。 ボーイスカウト90名、カブスカウト80名になる。
1959.7.2 教会のルルドの聖母像が完成、安置される。
1959.7.16-26 第10回世界ジャンボリーに沢田滋正スカウトをフィリピンに派遣。
1959.8.6-10 第2回日本ジャンボリー(滋賀県餐庭野)に参加。カトリック系ボーイスカウト(CBS)の指導者の集まりで、CBS隊員はネッカチーフにPXのマークをつけることになった。
1959.11. 吉祥寺教会内にスカウトホーム落成。設計、建築施工三好路可氏、85坪、総工費255万円。
1959.12.21 カール・ライツ神父、カトリック神言修道院の聖堂で、ミサを捧げている途中に倒れ、聖母病院に入院する。
1959.12.28 カール・ライツ神父永眠。
1959.12.30 カール・ライツ神父の告別式、カトリック吉祥寺教会聖堂で挙行。三嶋通陽日本連盟総長、告別の詞の中で、「永遠のスカウト」の名誉をカール・ライツ神父に贈る。当日カトリックの府中墓地に埋葬。
 
   
 
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